だいたい51集から54集(大結局)
そんなわけで、王語嫣は段譽と別れ、慕容復のところに・・・
本当に今の慕容復でいいのかと繰り返し段譽が尋ねていますが、もともと私は兄様が好きだった、正気を失ったといっても、自分が愛する慕容復という人間は変わっていないとかなんとか、いっぱい理屈を言って、「世話はちゃんとさせるから、よせば~」という段譽の申し出を振り切る。
けど、これってちょっと離れてみると、王語嫣は自分のほしい男を自分の意のままに囲い込める状況で手に入れたってことですよね。
この後、燕の王になったという妄想の中に生きる慕容復は、王語嫣のなすがまま・・・都合のいい男ゲットですなあ。獲物をゲットして、舌なめずりしてるような笑い顔です、怖いねえ。
どう取り繕っても、天女のごとく心やさしい王語嫣が、哀れな従兄と結婚して、一生世話していくという介護物語とは思えない。
旧版の王語嫣と新版の王語嫣ではまったく人格変わってます。
それにつられて、愛する王語嫣がいなくなってしまった段譽も、ただの惚れっぽい人間になってしまった感があります。
王語嫣が妹だと分かった時、旧版では「彼女が妹では生きている意味がない」と思い詰めたはずですが、新版では木婉青が妹と分かってもそこまでは言わない、仕方ない、前に進もうと彼女を説得してます。
虚竹も蕭峯も、その周辺の人物も、そんなに人格変わっていないと思うんですが、段譽、王語嫣、慕容復は噂通りの大改編。
・・・ほっこりせんです・・・
遼から蕭峯を助け出す話は、そんなに変わってません。
ここでのバトルシーンは、予想外に迫力も動きもよかったです。そういや虚竹と段譽の戦闘能力は格段の進歩を遂げ、蕭峯の降龍十八掌と同じくらいの威力を持っているんですなあ。
そのあと、雁門関での遼軍の攻撃。半端なかったです、矢は「英雄」並みにぶっ飛んでくる、爆弾までどんどん落っこちてくる・・・これ、天龍八部なんですが、と確かめたくなるくらいしっかり爆発してました。蕭峯がなるほど我慢できなくなって、名乗り出るだろうと納得できるくらいの破壊ぶり。
その中を阿紫を連れた蕭峯、銀川公主をかばう虚竹、木婉青と鍾霊の手を引いた段譽、その他のみなさんが逃げまどい、次々倒れていく。
どんな武芸の達人が集まっても、機械にゃかなわんという場面でしょうかね。
虚竹と段譽が耶律洪基をさらって、蕭峯が「身代金」として遼軍の撤退を求めるくだりから後はほぼ変わらず・・・大結局の45分で雁門関の話がすっぽり収まるのか心配しましたが、ちゃんと収まってました。
とにかく最後まで見た感じ、噂に聞いてたほど話が荒れているわけではなかったです。改編版の原作を読んでないんで、どこまでがドラマの創作なのかがわかりません。旧版の原作でも、今思うとかなり原作に近かった張P版でも記憶にない部分は、すべて「新版」だろうと割り切って見るしかなかったんですが、まあそれなりに面白かったです。
アクションシーンはちょっと単調なところもありましたが、まあまあ。
衣装最悪。
メイクも大したことない・・・
配役、美人がいない。おじさん、まあまあ。イケメン・・・それなり。
蕭峯、がんばったでしょう。
段譽、やめてくれ。君が虚竹だとよかったと思う・・・
主題歌・・・ちょっと古臭いなあ。それより導演:頼水清歌うな~~
CG まだまだ、それ以外の特撮まだましだが、もうちょっとがんばりましょう。
こんな感じですかねえ、まとめると・・・
笑傲江湖よりはずっと「ふつうに」楽しめたことだけは確実です。
けっこう見た覚えのある武侠電視劇作ってきたんですねえ。
で、今、韓棟版の鹿鼎記製作中だそうです。
と、まとめたところで、ネタバレ話に
後から見る気のある人とトンデモ笑傲江湖最後まで見てない人は、この画像から下パス願います。
堂々たる霊鷲宮尊主w 堂々としすぎw
最後の場面・・・
あれ、どういう意味なんだ?
阿紫が蕭峯の死体を抱えて、崖から飛び降りる。
落ちていく二人・・・それと交差するように鷲が横切って、画面いっぱいに。
すると、蕭峯が目を開けるんです。
うっすら微笑むんです。
で、そのまま落ちていく。
彼の巻いていた布だけが体を離れて、山の彼方に飛んでいく・・・で、おしまい。
なんで?
どうして目を開けるわけ?
鷲は、何の意味だ?
最後になって、わけがわからなくなった。
トンデモ笑傲江湖と一緒かい~~
それとも最近の中華電視劇界の流行?
へんだよ~~
しかし、いつも思うんだが、降龍十八掌と打狗棒法はいったいどうやって後世に伝わったんだ?
もしかして、この鷲が蕭峯から受け継いで、神鵰大哥やってたりしたといいたいんじゃないだろね。
実は生きていた蕭峯=独弧求敗説なんて、考えとらんだろうね?
なんせよく考えたら、崖から落ちたんだ。生きてたって不思議はないしなあ・・・不信、いや不安。