江湖迷人

Yahooブログから引っ越してきた武侠迷のブログです。中華ドラマの古装劇、ミステリ、SF方面を主に取り上げて、感想文を書き連ねてます。ネタバレはしたくはないんですが、ばらし放題になってることも、逆に肝心なことを抜かして何のことかわからないこともあって、あまりあてにはならないので、ご用心ください。

見ごたえ ありました

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七剣下天山 その2  大師兄の悲劇・・・壊れていく楚昭南


七剣下天山39集クリア。え~、こんな話になっちゃうわけ?と、びっくり。映画版からは想像もできない。
39集のエンドロールの最後に「上部 終」とあったから、当然最低でも下部は作られるわけです。
で、以下は楚昭南を中心に見た「電視版七剣下天山」です。
映画版・・・う~ん、なかったことにしよう。
めちゃくちゃ長文の上、ネタばれしてます、その上記憶で書いていますので、あしからず。

 楚昭南たち天山の悔明大師の元からの弟子4人は助けを求める武荘の住人たちの声に応えて、天山というユートピアを降りて、清と対決するために中原にやってくる。しかし、楚昭南自身が二師弟の楊雲'492;にいったように「人を助けるために天山を降りたのに、誰一人助けることができず、自分たちの剣はただ血に染まってしまった。」のだ。
 この言葉にあるように助けるはずだった部荘の住民(それは同時に反清結社「紅槍会」でもある)は、39集の終わりまでに、七剣の一員となった韓志邦と元英、荘主の娘郁芳、守られるはずだった子どもの一人華昭の4人を残して(少なくとも名前の出てる人物は)みんな殺されてしまう。守ろうとしたものは恋人も幼い子どもたちも、村も、仲間たちも次々にこの世を去っていく。
 そんな中で大師兄楚昭南は、七剣士のよきリーダーとしてみんなの先頭に立ち、仲間をまとめ、英雄にふさわしい自分であろうとする。しかし、そうあろうとすればするほど、その行動が周囲から疑われてしまう。そして自分自身も周囲を信じ、受け入れることができなくなってしまう。
 四師弟の穆郎が、「天山にいたときは、すべて大師兄の指示をきいていればよかった。でも、本当に、みんなをまとめていたのは二師兄だ。」といったように、天山でも七剣士としても大師兄としてみんなを率いていこうとした楚昭南、しかし、清との熾烈な戦いの中で彼の思いもプライドも次々と打ち砕かれていく。
 恋人には「信じよ」といいながら自分自身が彼女を信じていなかったことを暴かれ、目の前で自殺される。助けようとした砂漠の鷹の仲間たちからも、紅槍会からも裏切り者と指弾される。そして、彼の持つ由龍剣、天下第一と思っていた由龍剣は、二師弟楊雲'492;の持つ青干剣に制されてしまう。
天山から降りたときに、人助けをしよう、正義と信頼があることを確かめよつと考えていた誇り高き青年剣士楚昭南、しかし戦いの日々の中で彼の世界はどんどんと崩れさっていく。哆格多親王を殺すためには、味方を切り捨てることにも躊躇しないばかりか、何の関わりもなかったであろう寺の和尚を顔色一つかえずに切り捨ててしまう。もはや、かつての面影はない。皮肉なことにそんな彼を本人以上に理解し、利用したのが敵である哆格多親王だ。彼の策謀によって、昭南は偽装したはずの裏切りを真実へと変容させられていく。
 そんななかでも、彼がまだ仲間と認め、信じることができたのは二師弟の楊雲'492;、彼の妻の救出をめぐって剣を交えるほどに対立しながらも、哆格多親王と死闘の末、彼の青干剣をとりもどして誇らしげに帰ってくる。だが、そのとき、楊雲'492;は世を去っていた。それを知った楚昭南には、もはやすべてが敵でしかない。「大師兄と呼ぶな、楊雲'492;を殺したのは温厚な彼に最強の剣を持たした悔明、天山から引きずり出した傅青主、紅槍会は志邦も元英も、みんな殺してやる」そういって姿を消す楚昭南。
 電視版「七剣下天山」はここで幕を閉じている。果たして、楚昭南は、正義をとりもどすのか、楊雲'492;は本当に死んだのか、とすれば青干剣はだれが持つのか、銭塘江に落ちていった哆格多親王、谷ぞこに落ちていった飛紅巾たちは本当に死んだのか(どこかに落ちて死体のないのはたいてい生きてる)・・・下部をお楽しみに、といったところなんだろう。
 しかし、原作では、というより、文庫本の登場人物紹介では楚昭南はかっては楊雲'492;と並ぶ天山派の剣士だったが、今は裏切り者とかかれている。(それで、急いで読む気が失せた。別の話ね。)
 七剣士にしたところで、真に彼らをまとめていた二師兄の楊雲'492;がいなくなれば、崩壊していくことは容易に予想される。話が進むにつれて、ますます壊れていく楚昭南、そして七剣士や反清の仲間たちも壊れていく、下部ではそんなストーリー展開じゃないのかと思う。すると、これはスターウォーズアナキン・スカイウォーカーの物語と同じなのか。いや、もっと深く彼という人間や社会を掘り下げていってくれることが期待できるのではないか。
 江湖を舞台とした武侠小説の世界。登場人物たちは、さまざまな人と出会い、運に恵まれ、自らを鍛え、成長していく。そして、物語の終わりにはありようはさまざまでも大きく成長をとげる。天龍八部の段譽や虎竹、笑傲江湖の令孤沖らがその典型だ。しかし、楚昭南、彼はどう「成長」していくのだろうか。下部の製作と公開が楽しみだ。でも、正直、へんな続編なら作らないでほしい。雪山飛狐の例もある、ここで終わって視聴者に任せてくれてもいいからね。
 それにつけても、同じように旧勢力サイドから時代の移り目を描いていても、八大豪侠がはっきりいってまるでおもしろくなかったことを考えてしまう。どうせ歴史的事実からは逃れられないわけだけど、あの7人はあっさり死にすぎた。時代に翻弄され、思いっきりあがき、苦しんで壊れていく楚昭南。彼の姿が、とても気に入った大姐です。