9月16日前半 少林寺
今日もまた雨のスタート。
朝一番でホテルに隣接する武術学校の見学をさせてもらいました。
本来の予定ではなかったのですが、ガイドのXさんの人脈と尽力で校内の様子を見学。日曜日の子どもたちもたくさんいましたが、去年のようにあらかじめお願いしての訪問ではなかったので、子どもたちがズラッと並んでる・・・というようなことがなくてほっとしました。何しろこちらの学校、生徒数がけた違いに多い。何千人もいる子どもたちが・・・とか考えるだけでも身がすくみました。
休日のどこかのんびりした雰囲気の中、好奇心いっぱいの表情でこちらに笑顔を向けてくる子どもたちでした。
登封市にはこのような武術学校がいくつもあって、この禅武学院は最大規模の学校の一つで生徒たちが映画やドラマに出演している例も少なくないそうです。私たちが訪問した時にもこれから交流事業のために出発するという子どもたちが集まっていました。
近くには釈小龍の父親が経営する学校もあるそうです。
少林小子や烏龍院のころの釈小龍の可愛さはまだ記憶に強く残っているようで、少林寺のチケットにも彼がいました。
学校を出て、いよいよ少林寺へ。
門をくぐって、いよいよ少林寺へ向かう参道を歩きます。
ええ、ええ、負け惜しみですとも
そしてとうとうここ!
少林寺の門の外。生えている木にも、立っている石碑にもどこか見覚えのある山門前に到着しました。
いや、もう言葉もなく盛り上がりましたね~
山門を抜けるとまた鬱蒼とした木々の間の参道を通って、奥へと進みます。
参道の両側には、いろいろな石碑が立っているのですが、一番奥の方に金庸先生のこの石碑が!
写真撮ったんですけどね~あまりに石碑がピカピカに磨き上げられてて、個人が特定できるくらい映り込んでるんで、アップは自粛。出発前から脳内に渦巻いてた包青天のテーマと少林寺のテーマへの執着を無事昇華できた迷子でした。
まず、ここで私たちは少林寺の僧から八段錦の指導を受けました。毎度撮影班ですが、こちらもばっちり人物特定ができるので画像はないのです。と言った口から画像追加しました。指導を受けた場所の周囲には、ずらっと石碑が並んでいて壮観です。
少林寺の建物は1928年に焼け落ちてしまい、映画の撮影時には惨憺たる状況だったということで、現在の建物のほとんどが復元されたものになります。李連杰の映画撮影時には少林寺には撮影に使えるような場所がなく、前日に訪ねた中岳廟で撮影したというエピソードもXさんやYさんから教えてもらいました。少林寺焼亡は劉徳華、成龍、謝霆鋒主演の新少林寺に描かれていました。
ここからさらに奥に入って達磨に弟子入りを認めてもらおうと慧可が腕を断ち切って雪を赤く染めたという伝説の舞台立雪亭、晴れていたら奥の方に少室山主峰が見えたはず・・・
何年もの僧たちの練功のためにすり減った石畳のあるとかを見ました。石の床が窪んでいるの、写真で見えますかしら?
残念なことに蔵経閣に掃地僧が・・・というようなことはありませんでした。
この日の昼食は、少林寺内で、精進料理。
写真に撮り損ねていますが、ご飯がお茶碗の中にこんもり丸く盛ってあるのを見て、国によって忌み事も違うんだな~と。うちの亡くなった祖母なんかが見たら顔色変えたと思いますが、まあ忌み事なんてその程度のものということで、もちろんおいしくいただきました。
食後はこの食堂に併設の小規模な売店や少林薬房でグッズや薬類を仕入れました。やっと少しお土産っぽいものが手に入りましたが、少林十八銅人のフィギャとかはなかったです。飲み物やちょっとしたおもちゃなんかを売っているところはありますが、まだまだこちらも開発の余地が・・・いや、観光地化進めろとは思ってませんが、やっぱりなんかほしい。
続いて、少林寺の方丈や高僧たちが眠る塔林に。ここでXさんから副方丈にまで登った日本人僧の話や慈覚大師円仁の逸話を教えていただきました。考古学を専攻したというXさんはものすごく博識でした。
それなのに、私ときたら、そうか、あの天龍八部で喬峰、虚竹、段誉が游担之、丁春秋、慕容復と戦ったのはここがモデルか~とか妄想してたんだから、Xさんには申し訳ない限り。
塔林を出て、次は儒教の聖地嵩聖院へ移動です。
少林寺はほとんどの建造物が最近の復元だし、商業化しているし・・・とかいう話もありますが、実際に尋ねてみるとそれを差し置いて「少林寺」という場所の空気感が素晴らしかったです。それに武侠迷としてはやはり一度は押さえておきたかった「聖地」でもあり、期待してた以上のものを得ることができました。
雨の少林寺も悪くなかったです。