あらためまして蘇有朋版です
なんかずいぶん昔にレビュー書いたんですが、鄧超版の「大結局原作どおり、でもずっこけ」をまた見てしまって、口直しに最後の方だけ見直してみた。
やっぱり武侠世界にはまって間もないころに見て、書いたレビューだから、今自分で見ても間違いもいっぱい・・・ま、いっか、それはほっこう。
この蘇有朋版も、CGはろくなもんじゃないし、ずいぶん改編もしてるけど、鄧超版に比べてどこに長所があるかといえば、ラストシーンだろう。とにかくすっきり終わってる。
この辺、私は原作至上主義者じゃない。
金庸先生が、自分の作品に手を入れて、九陰真経なんかを直接倚天剣と屠龍刀に入れるのをやめて、地図を入れといたとかそんなところはどうでもいいんだけどねえ・・・「天龍八部」で王語嫣が段譽と別れて、結局慕容復とよりを戻す見たいな話を聞くと(読んだわけじゃない)「そりゃないだろう~~」と思ってしまう。
できあがった作品は、作者の手を離れたときから、読者と共に育っていくもんだと思う。
だから、ドラマ化とか映画化とかをするときに、改編があるのにも、反対じゃない。ただし、原作よりおもしろくなってたらの話。文章とドラマ、映画、コミック、舞台等々・・・表現媒体が違えば、それを最大に生かす改編はあっても仕方ないと思うわけです。
で、話を「倚天屠龍記」に戻す。
冒頭の郭襄と張君宝のシーンをばっさりやったのに、なぜこんな終わり方にするんだ?はっきり言って、今回の鄧超版というか張Pの倚天屠龍記は原作に呪縛されてると思う。テレビという媒体で原作をより魅力あるものにするという意識が薄れていないか?原作のファンにはけちょんけちょんに言われながらも、大衆娯楽としての武侠電視劇を作ってきたはずの張Pなのに、視聴者を楽しませるという姿勢はどうなった?
衣装を使いまわそうが、CGがへただろうが、ドラマ作りが面白ければ、視聴者は喜ぶんじゃないの。少なくとも、遥か日本で武侠電視劇を楽しんでる私はそうだよ。
でなきゃ、ずれずれCGの封神榜とか、使い回しBGM100%の関西無極刀とか、はりぼてセットの昔の香港武侠ドラマとか見てられないって。
でなきゃ、ずれずれCGの封神榜とか、使い回しBGM100%の関西無極刀とか、はりぼてセットの昔の香港武侠ドラマとか見てられないって。
蘇有朋版は、ラストシーンは張無忌は趙敏と二人、中原を去って冰火島に行き、そこで、これから二人でここで幸せに生きていこうと体を寄せ合って終わり。
芷若は少林寺に出家を願うが、峨嵋派の一同に求められて峨嵋山に戻っていって、もう出てこない。
それで、すっきり終わり・・・少なくとも、げ~~とはならんかった。このさい、それだけで上等のできと思ってしまおう。
これって楊逍が張鉄林で張無忌が蘇有朋なのよね、皇上と五阿哥か~という反応ができるのは、今だからです。
張無忌 蘇有朋
趙 敏 賈静雯
周芷若 高圓圓
小 昭 陳秀麗
殷 离 陳莎莎(名前が違いますが、郭芙@神鵰侠侶)
趙 敏 賈静雯
周芷若 高圓圓
小 昭 陳秀麗
殷 离 陳莎莎(名前が違いますが、郭芙@神鵰侠侶)
殷素素 郭妃麗
張翠山 蘇有朋(このときは二役やってました)
小無忌 釈小龍(なのよ~ちょっと育ち過ぎだけど)
楊 逍 張鉄林(そりゃ乾隆帝@還珠格格でしょう、いっぱい出てるけど)
宋遠橋 王 剛(こっちは王処一@射鵰英雄伝の人)
宋遠橋 王 剛(こっちは王処一@射鵰英雄伝の人)
殷梨亭 韓夫一
張三豊 于文仲
宋青書 劉恒宇
成 昆 張国立(大物俳優らしいので、やたらに成昆の出番が多い)
范 遥 袁 苑
周 颠 李連義
殷野王 劉春祥
胡青牛 梁 天
常遇春 付 亭
楊不悔 鮑逸琳
説不得 馬兆剛
金花婆婆 閻青好
安图貼睦尔 王 剛 (こっちはおじさん、張鉄林、張国立と合わせて鉄三角とかで数合わせに出てた)