江湖迷人

Yahooブログから引っ越してきた武侠迷のブログです。中華ドラマの古装劇、ミステリ、SF方面を主に取り上げて、感想文を書き連ねてます。ネタバレはしたくはないんですが、ばらし放題になってることも、逆に肝心なことを抜かして何のことかわからないこともあって、あまりあてにはならないので、ご用心ください。

鎮魂 原作ざっと見

 
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 原作本編と番外編3本。ざっと見終わりました。(私の言語力では「読んだ」とは決して言えないw)
 ドラマは大幅に改編されてると聞いてたんですが、もうほとんど違う話と言っていいほどに変わっていました。琅琊榜のネット版原作、紙本原作、ドラマの違いとか比較にならないほどです。
 
 以下、実にいい加減な言語力と思い込みに基づく「読書感想文」です。
 あんまりあてにはならないですので、興味のある方はぜひ原作を覗いてみていただければと思います。
 
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 この原作はBL小説なので、そのままではドラマにならない。しても許可が出ないというので改編されてるとは承知していました。でも、原作一応最後まで「見て」ドラマもざっと見返しみると、直接的なキスシーンとかベッドシーンとか壁ドンとかはなくても沈巍と趙雲瀾のドラマとしてはきっちり外してないことに気づきました。
 
 もっとも先にドラマ見てたんで、原作の方がBLな二次創作に見えてしまうのには困りました。
 
 私の感じでは一番の改編は、ドラマの設定が地星人、海星人、亜獣という三つの種族が一つの「地球」に共存しているというSF設定だったのが、昔ながらの中国の女媧神話をベースに死者の世界と生者の世界の間で起こる争いを扱っているところに思います。
 
 だから、迷い出た餓鬼や霊を捕える鎮魂令を託された鎮魂令主、それを処断する斬魂使という設定になります。ドラマでは趙雲瀾の鎮魂令主という立場が親から引き継いでいた職になっていましたが、原作では10歳のときに大慶に鎮魂令を託され、そこから鎮魂令主になっています。
 
 沈巍は黒袍に身を包んでいますが、もっとしっかりした背景を持っています。
 ざっくり言ってしまうと彼は、女媧が人間を作り、この世界を作って姿を消し、神農と崑崙という原初の神が世を去った時から、この世とあの世の境界を守ってきた斬魂使です。
 
 そして趙雲瀾はドラマとは違って太古の神崑崙そのものです。
 
 最初の方の展開は、ドラマもそう大きく違わないのですが、ドラマにはいくつもあった「事件」は最初の二つを除いて一つもありません。ドラマのオリジナルであれだけたくさんの事件を設定し、その先の展開につなげていました。
 龍城大学で起こった李茜の事件、汪微の事件あたりまではまあ同じ骨格。でも、出会ってすぐ趙雲瀾が沈巍に「一目ぼれ」すぐに彼を追いかけ始め、「俺が惚れてるの知ってるだろ?」と迫った挙句に、同意もしてもらってないのに同棲するためにマンションを買ってしまうとかとにかく積極的。
 
 沈巍の正体にも山から下りるあたりでもう気づいています。
 
 ドラマでは、正体を隠したい沈巍、いったい沈巍は何者なんだと迫る趙雲瀾のやり取りが前半の見どころでしたが、原作では「俺はいったい何者なんだ」と自分の前世を探る趙雲瀾の姿が描かれています。
 
 ドラマ見てて疑問に残ってた「生物学教授の沈巍がスマホも使わず、機械は苦手でDNA研究ってそりゃないわ」「なんで生物学教授に古書をプレゼントしようとする?」「あったりなかったりする沈巍の首にかかっている宝玉は何?」「あの安っぽい研究所何でいるんだ?」「郭長城を特別調査処に入れたのは結局誰だった?」「郭長城の正体?」とかひっかかってたのですが、何より一番の引っかかりは「あれだけのことで、一万年もかけて探すか?」だったのですが、原作見て納得しました。
 
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 ドラマじゃ沈巍の首にあったりなかったりする玉の意味合いが不自然だと思いましたが、あれは崑崙が魂魄を持たない鬼族の少年沈巍に与えた左肩の真火。沈巍はもともと血に飢えた少年鬼王だったのを、崑崙に出会って彼なしでは生きていけないと考えるようになったのですね。
 
 神農と同様にこの世を去るはずだった崑崙ですが、人間として輪廻転生をするように沈巍が神農に頼み、その結果崑崙は前世の記憶を持たない人間として何度もこの世に生まれてている。勝手にこれを仕組んだので、ずっと崑崙=趙雲瀾には遠慮がある。
 
 そして、崑崙がこの世に生まれると鎮魂令を届けるのが、女媧が崑崙に与えた猫の大慶。人間形になったのはたった二回です。普通は猫。
 
 崑崙も大慶も太古の記憶はなくしているのですが、ただ一人沈巍はずっと斬魂使としてこの世界の秩序を保つ役割を果たしながら崑崙の転生を待ち続けてきた。沈巍の孤独と崑崙への思いはこうやって数千年にわたって醸されてきたのですね。
 
 こうして、この3人は天地創造以来の関わりをもっていた・・・ということが、一万年どうのといいながら実質は中抜きだったドラマより納得できます。
 
 彼らが四つの聖器を巡って、沈巍と同じ顔を持つ「鬼面」の人物と戦うのは同じです。
 
 ただ、冥界と地上世界、かつての崑崙山を舞台にした最終決戦で鎮魂灯の灯心がない!という話はそこから大きく変わっています。
 
 地上にいた郭長城こそが実は鎮魂灯の灯心の化身で、彼自身が知らないうちに鎮魂灯に火をともし、すべての戦いを終わらしています。長城君、やっぱりただものじゃなかったw
 
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 この原作、ハッピーエンドなんですね。
 
 犠牲になったと思われた沈巍が趙雲瀾の元に下りてくる・・・という場面で本編終了。
 
 番外編では趙雲瀾は沈巍と共に死ぬ覚悟でいたのに、沈巍が一人犠牲になろうとしたことで怒り心頭。
 「お前なんか知らない」と無視していたのが・・・というような話が三つ。
 
 穏やかな世界の中、趙雲瀾は特別調査処を大学の近くに引っ越しさせ、農園で野菜を育てながら、沈巍が講義を終えて出てくるのを待ち、二人で家に戻っていくとか・・・大甘のエンディング。
 
 特別調査処のメンバーも少しずつ設定変わっていますが、趙処長の「求愛」には協力的。
 沈巍に構ってもらえない、失恋したと荒れる趙雲瀾と沈巍の中を取り持ったのは楚恕之だったりします。
 
 趙雲瀾がようやく沈巍からOK取り付けたのは「特別調査処顧問」ではなく、一緒に暮らすということで、ここで手を離したらまた逃げられると事件現場にまで連れてきて、祝紅に「外部の人間連れてきちゃだめでしょ」と言われて、「外部じゃない、彼は俺の家内」だと宣言。
 実家にも連れて行ってドラマと違って元気に生きている母親に「俺の嫁さん、美人だろ」と紹介して、母親を困惑させてます。
 
 そして、あれやこれやで痴話げんか繰り返す二人。そのたびに気を遣う特別調査処のみなさん。喧嘩して靴下も履かずに仕事場にやってきてふて寝している趙雲瀾に沈巍が洗い立ての衣服ひとそろえ持ってくるとか、趙雲瀾が沈巍の服着て出てくるとか、ラブコメのノリでししょうか?
 
 後日、まともに姿も見られない恐ろしい斬魂使が「処長夫人」だと知って、大慶以下腰を抜かしてます。
 
 沈巍の生活臭のないマンションには趙雲瀾の各時代の絵姿とか各成長過程の絵が飾られてる部屋があるとか、「昔の姿見せてくれ」と言われてベッドの上に沈巍の髪がどっとあふれるとか、ドラマじゃ出せなかったベッドシーンの数々とか、BLならではだろうなと思える描写もあるんですが、そういう場面なしで二人のストーリを描いたのがドラマということになります。
 
 原作を見てて思ったのは、ドラマの沈巍と趙雲瀾のあの「かわいらしさ」は原作というより、ドラマの脚本と朱一龍、白宇という俳優の力なんだということ。キャラの魅力を作り上げてBLかどうかを棚上げしてしまったドラマスタッフに脱帽でしょうか。
 
 以上、ざっくりと原作めくり終わった感想です。細かい描写や神話の中身にまでは触れる言語力はないし、思い込みがあるので勝手な解釈をしていると思いますが、ともかく原作もおもしろかったです。