56~69集(大結局)
見終わりました。途中で盛大にドラマの展開をばらされてしまって、見る気力が失せてしまったのですが、何とか乗り切りました。先に言ってしまうと仁宗の一人娘徽柔が嫁ぎ先でいかにひどい目にあうかという場面ばかりをスクショしたのにぶつかってしまったんです。こういう場面を選んでほとんどコマ送りにスクショして、SNSに挙げるってひどくない?
特に私はそういう「嫁いびり」(死語であると信じたい)というようなドラマ大嫌いなので、視聴意欲だだ下がりしました。けど、頑張って見続けるとどうもそういうことを取り上げているドラマではない。
56集以下は、仁宗に何度嘆願しても李家の息子との結婚をやめさせてもらえない徽柔が初恋を壊され、泣く泣く李家に嫁いでいくところから、仁宗の死までが描かれています。
以下ネタバレというか、ドラマの展開に触れてますので、画像以下立ち入りご用心ください。
最後の視聴部分の主人公は不幸な結婚に苦しむ徽柔とその彼女の横でずっと彼女を守る梁懐吉の二人でしょう。その二人にのしかかる皇帝家のメンツ。それを当人たち以上に重視するのが司馬光達重臣。彼らの求めるのは、生身の人間ではなく理想化された道徳規範としての皇帝一家。だから、降嫁した公主が駙馬の母と不仲とかお付きの宦官に助け出されて逃げてくるとか許されない。だから、懐吉を殺せとなるのですが、皇帝が言うように司馬光が何度も何度も奏上文を出してくるたびに、懐吉がどんどん化け物になっていく。
これに対して、私は人形じゃないと宣言したのが徽柔。彼女は生まれたときから仁宗のペットだったんですよね。世界一幸せな娘に育てる、私にかわいがられるだけでいいとか言ってましたっけ。でも、その彼女を不幸な結婚においやったのも仁宗です。
とはいえ、この結婚。李家の母子が悪いというわけではない。息子李瑋は子どものころから徽柔に好意を抱き、愛している。けれど、彼女には李瑋は顔を見るのも嫌な存在だし、気品も教養もないその母は恐ろしい山姥か何かに見えている。公主の立場があるから、嫁がただ泣かされるということにはならず、ずっと初夜を迎えないままの日が続く。
とうとう薬で眠らせた徽柔を息子に襲わせるとかいうところにまで発展。懐吉に助けられ、夜中に宮中に逃げ帰ったことから、この不幸な公主の結婚生活があからさまになってしまう。
なんとか表面だけでも取り繕って丸く収めたい皇帝一家。
私は父の犠牲になった、もう公主府には帰らないと訴える徽柔。
李瑋からすれば、公主の望みに沿おうとしたが嫌われているのが自分自身ではどうしようもない。彼の母は確かに公主の姑にふさわしくもない。でも、彼女も公主を降嫁したら精一杯大事にし、一家団欒、かわいい孫を抱こうと考えていたことは間違いない。それをぶっ潰したのは他ならない徽柔自身。生理的に無理~ってところは、どうしようもないんですよね。と徽柔にも同情するけど、なんかこの李家母も気の毒ではある。
こういう価値観のずれというのが、このドラマにはたくさん出てきます。
梁懐吉こと梁元亨、少年時代から仁宗や皇帝一家の傍にいて、聡明さを愛され、可愛がられていた。最初に小さな菓子屋の子どもだった懐吉が宦官にされたのも貴族たちや庶民にとっての皇帝のひと言がどれだけ重みがあるかわかってなかった仁宗の「果物の蜜漬が好き」の一言のために一家離散、悪徳官吏と親戚に売られたからで、被害者そのもの。たかがお菓子されどそれは生活の糧。
一方の徽柔は、自分は家長である仁宗趙禎が亡き母への実家への穴埋めの人身御供として李家に差し出されたと思っている。趙禎自身には、それが娘の不幸だという意識はなく、婚儀に大満足して母の位牌に報告していたが、徽柔にとっては地獄の日々で、ただ一人のよすがが懐吉。
「皇帝」趙禎の汚点の生きる証拠が梁懐吉であれば、「家長」趙禎の失敗の証が一番大事にしてきた娘徽柔ということになってしまったのです。
梁懐吉の背景というか正体を知っていた韓琦と張茂則の二人は、それでなくても自己肯定感の低い皇帝を守るためにもずっとこれを秘密にし続けてきた。しかし、司馬光らの声が大きくなり進退窮まってきた今、それを知らせずにいて、梁懐吉を公主を守るために殺させたりするとさらにまずい・・・とここにきてようやくその秘密を皇帝に告げる。
公主は宮殿には戻れたし、懐吉も元の名「梁元亨」を取り戻して兄のもとに送られる。でも「懐吉を返して」という公主の願いだけはかなわない。
仁宗が皇后の腕の中で死ぬと、いとこの子ども趙宗實が英宗として立つ。
残された徽柔は、父が死んでいないという妄想の中に生きている。
梁元亨に戻った懐吉は、いつまた殺せと言われるかもしれず、世捨て人のように遠く山奥で子どもたちを教える教堂を開いている。その教堂を遠くから見て、去っていく徽柔と二人の母。
こうやって、男たちは梁家のかつての赤ん坊を守る。しかし、趙禎のひと言がなければ、科挙に合格し、有能な官僚となりえただろう元亨は山奥で孤独な生涯を送ることになる。
一方、皇后曹丹姝や生母苗心禾はなんとかして徽柔を守ろうとするが、仁宗を動かすことができず李家に嫁がせてしまう。彼女たちにはこの結果も予想できたはずだけど、「こうあるべき」に縛られた彼女たちには徽柔の心までを助けることはできなかった。
どうにもやるせない気分の大結局クリアとなりました。誰も幸せになってない。
いや、徽柔をあきらめ彼女の侍女の愛を得た李瑋一家は結構幸せかもしれない。
このドラマ、30年以上に及ぶ時間を取り扱うので子どもの配役が頻繁に変わります。それなのに、懐吉の配役は当時14歳の辺程が最後まで交代せずに演じています。公主と宦官のスキャンダルというような話は、扱いようによっては、下品なドラマにもなりかねないところです。この配役をあえて成人に交代しなかったことは、ドラマを生臭いものにしない効果があったと思います。
そもそもドラマ全体が優美な皇帝一家や熱血官吏たちの様子を見せることに力を注いでいます。けれど、ドラマが進むにつれてその中になにかむなしいものを感じるのです。後宮の中での異分子張妼晗や気品のかけらもない李家の母が「見たくもないうざキャラ」なのに何か気の毒に思えてくるのでした。法や儒教的な道徳律で公主の行状を弾劾する朝堂の重臣たちの人を見ず、体裁だけを重視する猛々しい議論を見てると、何とも言い難いものを感じます。
生臭さは感じないけど、すがすがしくもない。
いやあ後引きますね~このドラマ。いろんな切り口で語れるし、キャラ一人ひとりに面白みがあるし、多士済々の官僚たちを見るだけでも楽しい。宦官たちをきちんと一人の人間として描いているのもよかったです。
仁宗期の政治家たちには歴史的にも著名な人物が多いのですが、そのあたりの知識は私にはないのでスルーしてます。
最後まで見ると本当にきちんと最初の方の伏線とか途中で消えたキャラのその後とかを回収してるのに感心します。こんなに伏線回収をきれいにやってるドラマ見るのは「長安十二時辰」以来でしょうか?ちょっと見習えと言いたいあれやこれやw
ネタバレということになるかもしれませんが、このドラマ最後まで探案もの的犯人、後宮ドラマ的悪者とかほとんど出てきません。いろいろな事件が起こり、人も死に、悪いことをしたりもしますが、結局懐吉の処刑を求める朝堂で欧陽脩が言った「首悪などいない、不幸な人がいただけだ」という一言がこのドラマ全体の主題だったのかもしれません。
仁宗期に生きた人々皆の思い、願い、善意のすれ違い、道徳観、価値観のギャップ、思い込みそんなものが時代を形作っていったそんなドラマだった気がします。
それにしても、詩の形式からとってる「清平楽」という平和な穏やかさを連想させるタイトルより、孤城に閉じ込められた皇帝家の人々の姿を連想させる元の「孤城閉」の方がずっとふさわしかったと思うのです。そこから国全体、人々を見ようと努力した仁宗、それができず最後には自身の中の孤城に籠ることになってしまった徽柔の悲劇も象徴していたんじゃないでしょうか?
演 員 角色
王 凯 飾 赵祯
江疏影 飾 曹丹姝
任 敏 飾 赵徽柔
杨 玏 飾 韩琦
边 程 飾 梁怀吉
叶祖新 飾 张茂则
喻恩泰 飾 晏殊
王楚然 飾 张妼晗
刘 钧 飾 范仲淹
冯 晖 飾 夏竦
张本煜 飾 欧阳修
李雅男 飾 富弼
谭希和 飾 吕夷简
陈伟栋 飾 文彦博
陆妍淇 飾 董秋和
何明翰 飾 王拱辰
季 晨 飾 狄青
许潇晗 飾 许兰苕
郭 虹 飾 李玮母亲
陆 星 飾 李玮
刘子鹤 飾 俞婕妤
丁嘉文 飾 曹评
初俊辰 飾 司马光
胡浩博 飾 梁元生
吴 越 飾 刘娥
许龄月 飾 苗心禾
曹曦文 飾 贾教习
赵 达 飾 赵元俨
张天爱 飾 陈熙春
陈冠峄 飾 镣子
職員
出品人 侯鸿亮、孙莉莉、孙忠怀、朱皓峰、李晓东
制作人 侯鸿亮、方芳(制片人)、李纪山、王碧筝、张志炜(执行)
監 制 李化冰、韩志杰
原 著 米兰lady《孤城闭》
導 演 张开宙(总导演)、王光(执行)
編 劇 朱朱
美術設計 王竞、傅春旭 魏玉海
造型設計 纪伟华、杨树栋、杨晓海
服装設計 王媛、李玉玲