射鵰英雄伝放送当初の無関心とそのあとのどぼんとはまった天龍八部迷の自分・・・どうしてこうなったのか・・・いまだにどうもようわからん。
ただ、武侠もの独特のお約束になじめなかったのは事実。
金庸原作どおりにストーリ展開された射鵰英雄伝は、「迷」な自分にはどうってことなく入っていけても、「お初」だった自分にはとっつきが悪かったんだよねえ・・・
そこへいくと天龍八部は、もっとぶっとんでいて、元来SF、それもスペオペなんかに浸ってきたRPG大好き人間には、かえってとっつきがよかった。
つまり
内力は、ヒットポイント
内効は、マジカルポイント
武功は、アビリティ
と割り切った瞬間に、話はわかりやすくなった。
むちゃくちゃだといえば、そのとおりではあります。
でも、武侠小説にしてもドラマにしても、まだまだ翻訳が固まっていないなあ
これからのことなんだろうね
打狗棒を小説では「犬打ち棒」って訳してるもんで、思わず「犬も歩けば、棒にあたる」!!
ドラマでも射鵰は「だくぼう」だし、天龍は「だこうぼう」だし・・・
まあ、SF用語もその昔はワープとかESPとか、SFファン以外には通じなかったからなあ。
そのうちなんとかなる・・・・かもしんない