江湖迷人

Yahooブログから引っ越してきた武侠迷のブログです。中華ドラマの古装劇、ミステリ、SF方面を主に取り上げて、感想文を書き連ねてます。ネタバレはしたくはないんですが、ばらし放題になってることも、逆に肝心なことを抜かして何のことかわからないこともあって、あまりあてにはならないので、ご用心ください。

碧血剣 その6

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二度目です


ふた周り目の碧血剣を見始めました。今度はできるだけ行きつ戻りつしないで、ストーリをおっていくつもりです。でも、どうなることか。崋山を下りる前の安剣清軍と袁承志たちとの河原での戦いなんか、やっぱりリプレイしちゃいました。

つらつら見ながら考えたのは、武侠なアクションシーンのリアルさもさることながら、これまでの張紀中製作の金庸ドラマにはなかった英雄や豪傑たち、朝廷や権力者たち以外のふつうの人々(一般百姓って言うんでしょうか)がしっかり描かれていることです。朝廷末期の混乱で難儀をする人々・・・射鵰英雄伝でも少し描かれていたし、サマルカンドで郭靖が黄蓉との約束を破る原因にも、後半生をかけて襄陽を守ることになった原因にもなってるとは思うんです。でも、それが郭靖という人物の根幹かというと少し違うと思う。宋を守るということと、人々を守るってことはイコールじゃない。
でも、袁承志の場合、そこに彼という人間の根幹があると思うんです。だから、袁承志は最後に中原を捨てることになったのかな。彼の生い立ちにも、崋山下山以来の経験にも国家や権力者というものへの不信と絶望がいっぱいじゃないですか。完璧なヒーローといわれる袁承志、(崋山下山時には金蛇郎君の武芸も含めて武芸は完璧だったんですよね)ですが、下山以後 どんどん迷いが深まって行ったんじゃないかな。どうしようもなく無能で腐敗した明の朝廷や軍人たち、それにひきかえ優れた統治者らしい清のホンタイジ、最後が李自成の「裏切り」、結局、人間不信の塊になってしまったのか、袁承志。
金庸の主人公ってけっこうこんな風に世間を投げ出して、隠棲しちゃうんですよね。江湖からひっこんだ令孤沖と仁盈盈、南の島へ行った袁承志たちと反対に、北の島に行ってしまった張無忌と趙敏、ウイグルにひっこんだ陳家洛一党、楊過と小龍女も結局は古墓にひっこんだみたいだし・・・結局どんな武芸の達人、人格者、理想の持ち主でも大きな歴史の流れにはかなわないってことなのか。
天龍八部は、宋のまだ「腐っても鯛」だったころを舞台にしているせいか、一時の宋と遼の平和を引き換えに死を選んだ肅峯は別として、大理皇帝となった段譽も、霊鷲宮の主となった虚竹も人生観がひっくり返るほどの衝撃を乗り越えてあるべき場にいる。というか、いることができた。
でも、戦乱の時代の英雄たちは、もはや自分のいる場を持ち得ないのかもしれない。

今回は、たまに登場するちょっとまじめなB面大姐でした。

で、A面いつものミーハー大姐としては、正直に言うとこんな隠棲した英雄たちが好みなのであります。
波乱万丈な人生を送り、江湖に名をとどろかせた英雄豪傑が、江湖の片隅や天涯海角でひっそりと・・・という話、大好き。絶世雙驕のはじめの場面とか、小魚児の目覚めを待って念魚とひっそり暮らす花無缼とか、小李飛刀李尋歓とか、お菓子屋さんな西門吹雪とか・・・で、古龍の作品にどぶんしつつあるわけです。